意識変容
生まれた以上、死ぬわけだから寿命を嘆くのは理不尽というもの。
だから「もうだめだ、とか限界」とか嘆いても当たり前だろうという話。
いわば誰だって死刑囚なんだから。むなしいだとか、きついの苦しいの、も当然。
死刑囚の中にも達観したり、仏状態になる人もいるというので。最後まで抵抗したり、恐怖におびえたり、も多いだろうけれど。
娑婆だって両方いるでしょう。
とりあえず。こういった人生論やら、昔からの思春期定番、「なぜ殺してはダメか」「なんのために生きてるか」「自殺とは」「生の目的」・・・なんぞという疑問、いくつかの「答」はありますが。
今回は「意識変容」というくくりで書いてみると。
多くの人が自分で考えるのは面倒なため、発想も出ないため、とりあえず他人の受け売りで宗教やら思想に染まってみる。で、生死を極めたつもりに、というパターンが。
「つもり」で死んでく人もいれば、途中で矛盾に気ずいてヤメ、もあり。
例えば。自分は義務教育時代、バリバリの共産主義を叩きこまれた、というか、担任が共産主義者だったため、「ソ連は良い国だ」と言われながら過ごしました。
けれど。
世界中の戦争はソ連とアメリカがやってるのは知ってたし、「片側だけ悪」というのはどうもおかしい、と感じてたし。共産主義国はモノがないのも、逆らうと強制収容所送りになるのも知ってたので。どうも変だ、と。一度もマルキストになることはなし。
やがて。ソルジェニーツィンの「収容所群島」を手にして。先生たちが攻撃してるナチスやアメリカよりスターリンの二千万殺しが遥かに酷い、と判明。
人類最悪思想=共産主義概念確立。
(※収容所群島は何巻にも及ぶので。もしソ連の実態を知りたければ「イワン・デニソビッチの一日」が薄くて〇。
いずれもソルジェニーツィンの収容所体験もの。)
しかも。
義務教育期間中何年にも渡り叩きこまれた「よい国」のソ連が亡くなっちゃうし。
早い話、共産主義者の主張パターンは中国の歴代皇帝と同じ。「世界を支配してる資本主義は悪い。今度の我々が支持してるマルクスこそ正義だ」という理屈。
毎度おんなじセリフで前政権を叩き、自己正当化しては消えていく封建時代と変わらないザマ。
王様や帝国主義との違いはマルクスの場合、世界各国の経済を分析した上で、理論体系を確立したため、ハマった人間はかなり深いところまで持ってかれてしまいがち。マルクス全集は何十巻にも及ぶので。インテリや学生が引っかかりやすかったのでしょう。
ただし。スターリン二千万、毛沢東三千万殺し。三位のポルポトがようやく「極悪のはずの」ナチスと同じ位、数百万殺し。
ヒトラーの場合、戦中限定なので。共産主義者の場合、ソ連中国勝っちゃったから。
平和時代でも自国民、殺し続け。
消えたソ連は結局、黒字が出た産業、強制収容所だけだっというありさま。
悪いはずの資本主義が続いちゃって、「理想形」共産主義、全滅全敗。
◇レッド・マニアの心情◇
「大学に入ってからマルクスにぞっこん」の学生は田舎時代、保守一色、受験地獄に苦しんでから解放され、教師や親の価値観を全否定されるもんだから、ツボにはまっ一直線、というパターン。
自分は選んだわけじゃないけど。「マルクス×資本主義」が「田舎上京洗脳パターン」と逆目が出たという感じで。
思春期の反抗的態度が思想と「それまでの因習から解放」で反動を起こして、かつての価値観全否定、となるわけです。
マルクスは今や、全部失敗。残党が北朝鮮やらでは誰も騙されなくなって。
となると。洗脳ファンの引き受け手は新興宗教。
これまた、やってると矛盾が出てくるから。「嘘も方便」と言い出して。勧誘してる段階では「ここに真実一杯がある」なんぞと言ってたのに。
キリストはアラブの有色人種なのになぜか白人になってるし。当人、読み書きできないのに弟子が死後何百年も経ってから「聖典」でっち上げちゃうし。
イスラム過激派の殺し合い、元は一緒なのにユダヤ、キリストとの戦いはいつまでも終わらない。
ってなわけで、誰かにだまされたり、洗脳されて宗教にはまった挙句、しばらくすると疑問が湧いて、矛盾に気ずくのが普通なんだけれど。死ぬまでやめない人も中にはいるから今日まで続いちゃってるわけですが。あるいは憲法「信教の自由」に保障されちゃってるため、オウムでも統一〇会でも暴れ放題ですけれど。
いずれにせよ、「だまされる」→「気ずく」→「やめる」→「攻撃に回る」と意識が幾度も変わっていくのが多くの場合。
特殊例としては一つの宗教をやめて、別の宗派に移ったり、「過激派渡り鳥」、みたいな例もありますが。
宗教、マルクスに限らず、支持政党でも哲学でも所詮は他人、外人の発想。
時間が経つといろんな矛盾が噴出して価値観が変わるのが当然。
経済だって一時期、一地域にしか通用しないので。偉い先生が元より関係ない国の経済政策、理論、自国に当てはめても特に景気がどうこうはならない。
一体、死ぬまでに幾度、人間の意識、方針、決意は変われるものやら。
戦争に負けた後は「民主主義」に支配されてる人が多い模様だけれど。
古代ギリシャでできた思想、体制が平成日本に合うわけがなく。
権力を握ってる薩長維新政府、官僚支配にとっては民主主義に洗脳されたままの国民が多い現状、とても支配しやすいわけで。選挙民の二割しか支持してないのに政権が取れるわけだから。
これを疑問に思ったり、捨てたり、は一体、支配されてるうちの何割が?
報道関係や文化人で一人くらい気ずいてる人いないのか?
支配階層にしろ、盗られるばかりで返しがない税金奴隷階級にしろ、対案、民主主義にかわる仕組みは考えられないし、一から分析するのは面倒だし。なので元から合うわけがない、とっくに財政破綻してる「議会制民主主義」、今後も続いていく模様。
自分にしたって、やめるべきだとは思うけど、現行憲法も冤罪出しまくりの法治主義も斬るるべきとは思うけれど。
意識変容、受け売りを否定する段階でおわり。
多分、このまま死んでいくでしょう。
宗教や思想の受け売りで終わっていく人、一時は染まっても脱皮する人、無関心のまま。
期待薄だけど体系を自ら打ち立てる者・・・
「理想形」ができたところで、これまた寿命はあるでしょうけれど。
一体、寿命までに。何回かわれるものか。一度ハマったら抜けられない一穴主義か。
日本を知らない外国人の受け売りで自国をごまかそう、猿真似で終わろう、ってのは自
滅型受け売り根性だけれど。
新元号、自分は「利貞」が無難ではと思ってるけれど。(出展 易経)
プラスを考えるなら「独自」「発想」にしたら?
このままだと「受け売り」。財政破綻のまま議会制民主主義日本、終わるのか。
可能性としては。
政府を東京湾岸に移して、地震で沈めちゃえばよみがえりもあるが。
ここで指摘したところで。人ひとり、エネルギーも寿命も限られてるし。
無念のまま没年か。湾岸沈没か。