吉行淳之介VS仮面ライダー ライ病VS結核
10キロめどに歩いてるコースの途中にある公園。
子供のころ、缶蹴りやらやってた場所。
後、ローラースケート場が出来、ゲートボール場となったけれど。
元々は死体置き場だった。
昔は死んだ人が集められていたのに、今はもうすぐ死ぬ人が集まってるというステキなところ。
思い出してみると缶蹴りやら鬼ごっこ、主人公は追っかけるやつだろう。
なのになぜか子供価値観では「負け」「みじめ」な役どころになっていて、参加者たちもどうやって逃れるか、が必死の遊び。
敵役と主役が人気も迫力も逆転するのはドラマ、映画、プロレスでもありがち。
「明日のジョー」では力石徹人気が高すぎて、死んだ後、現実世界で葬式までだしたし、「ウルトラマン」ではゼットン、バルタン星人人気が高い。
「ターミネーター」では人類の敵、シュワルツネッガーが強くて、「主人公」は誰だったっけ?状態。
デストロイヤー、アンドレ・ザ・ジャイアント、アブドーラ・ザ・ブッチャー、プロレスでも悪役が強くないと盛り上がらない。
現実には力道山が殴る蹴る当たり前のでたらめ人格破綻者で、タイガー・ジェットシンはインドの上流階級出身、アメリカではちゃんとしたプロレスをやってて、対する猪木は選手のギャラを事業につぎ込んでは失敗。いくら儲かっても借金固め。
のヒール、ベビーフェイス逆転現象。
・・・といったヒーローもの山ほどある中、なんでこの記事タイトルが「仮面ライダー対吉行淳之介」なのかというと。
元死体置き場、病院だった当地、火事になった後、「仮面ライダー」のロケ地になって、その病院に作家吉行淳之介が入院してる時、芥川賞を獲ったというから。
今回、新たな案内看板が跡地にできてて初めて知った。吉行さんの件は。
だったら、すぐ隣の全生園に川端康成が弟子を見舞いに来た話や、当地に俳句の巨匠が結核で入院してたから顕彰碑がある、みたいに吉行さんだって持ち上げられててもいいはずなのだが・・・。
で元死体置き場現ゲートボール場隣接図書館に該当作探しに行くと。
見つかった。
なんで「芥川賞」が知らんふりされてたのか分かった。
受賞作「驟雨」、売春婦の話だったから。
しかも作家は名うてのプレイボーイ、他にも街娼作目白押し。
土地の資料館がでかでか堂々掲げるわけにはいかない。
こういう差別偏見は職業に留まる話ではなく。「当地ガイド」みたいな本が出てたから見てみると。
全国から見学者がバスで押し寄せてくる、皇族も歴代厚生大臣も訪れてる、ノーベル賞作家が弟子を見舞いに来てる、一体ここを置いて他に何の観光資源、見るべき施設があるのかという必殺マスト「全生園」が削除されてるってのがあった。
強制収容所だった時代でさえ、出入り不可だった時でも地図上から抹殺されてはいなかったのに。
軍事施設じゃあるまいし、「地図上にない街」扱い。塗りつぶされてたんだから。
戦中言論統制下じゃなく、まるでいいものののように言われてる人権概念あふれまくりマッカーサー憲法下民主主義、平成の話。
タブーや「いわない約束」は常にあって、報道や記録からもどんどん外されていく。
よって大本営発表「年表」と「年裏」は違う。いちいち全部の出来事記録できない史、権力都合もありまくりだ死。
「缶蹴り」にしたって「掟」はあった。
死体置き場だけは「隠れ場所」にしちゃいけない。
鬼が入れないからか。出れなくなるからか知らないけど。
神聖不可侵。
ホルマリン漬けにされた内臓に名札がついてたのを今でも覚えてる。
「ミシマ」。
いや別に三島由紀夫はここにはいってないだろう。結核でもないし。多磨霊園に墓があるから。
それとも切腹したんで首は市谷自衛隊。骨は霊園、内臓は死体置き場のまま?
アインシュタインの脳みたいに。キリスト、釈迦の分骨みたいに。
吉行さんは結核だったから肺を切ったそうだけど。ならばやっぱり重要人物の一部。 保存すべくホルマリン漬けだったんだろうか。捨てたのか。宗教上の理由で烏に食わせたか、犬にやったのか。
作家の遊び心、女にあったなら自己内面にも向けられたはず・・・。
当時は病院内、今ちょうど碑があるらへんから煙も上がってた。
命燃やすか、念、残すや。